第1章
俺の名前は武志。日本の千葉県在住、公務員として働くごく普通の男だ。今年で30歳になり、独身で恋人もいない。そんな俺が、人生で一番大きな買い物をした。それは、自宅の庭の地下に埋設する、核シェルターだ。
「絶対安全君2035年バージョン」という、ちょっと心配になる名前がつけられたこのシェルターは、モニター価格で6000万円という、高額な金額だった。今まで長年かけて必死に貯めた貯金の全てを費やし、それにこれからの給料を担保にしたローンまで組んで、工期3カ月待ちで、ようやく手に入れた。
3か月前にネットで初めて見た時の、このシェルターの売り文句は信じられないほどに魅力的だった。戦争と自然災害に対して一切の影響を受けない。完全閉鎖生態系のバイオスフィア型装置。つまり、外の世界がどうなろうとこの中でなら半永久的に生きていける、ということだ。たった一人だと50年は生存できるという。それは国際的な基準を満たした、最新の技術の粋を集めたものだという。
すぐに問い合わせのメールをし、次の日の休日、車で埼玉の山奥にある販売会社に実際のシェルターを見に行った。「遠かったでしょう。」太って汗だくの販売員が出迎えてくれ、案内と説明をしてくれた。
大きい体育館のような工場の中には灰色の巨大なコンクリートの長方形型のシェルターが置かれていた。上部は埋める時に組み立てるそうだが、入り口の梯子から入ると気密扉が5メートル間隔で5つあり、深さは地上から20メートルだそうだ。
実際のシェルター内部の広さは、6畳が2つと、4畳半が2つ。6畳はベッドと全体の制御装置が備え付けられた部屋と、運動とレクリエーションを兼ねたスペース。そして、4畳半は玄関スペースとライフラインスペース。
ライフラインスペースには、トイレやシャワーがあり、空気清浄を含めて微生物まで分子レベルで分解し再構成できるナノリサイクルシステムがあり、そこで電力も賄えるそうだ。原子力発電と似ているが、こちらのシステムは微量の電力を集めるだけらしいので、全く安全だそうだ。
太って汗だくの販売員によると、このナノリサイクルシステムが世界唯一の特許だというのだ。すでに国際宇宙ステーションでは一年前から実施済みだ、とのNASAのお墨付きだそうだが、聞いた事が無い。
そのナノリサイクルシステムから一日に3度、硬いパンのような食感のタンパク質のスポンジが出てくる。それを食べても良いし、水を含ませて部屋の内部の掃除に使っても良い。その後はナノリサイクルシステムのダストシュートに入れるそうだ。
部屋の中の構成物質は全てコンピュータで計測し、恒常性を保つためにこのナノリサイクルシステムが生成・管理するとのことだ。
太陽光も天井から人工のものが用意され、一日10時間、朝7時と決まった時間にスイッチが入り、自動的に照射をしてくれ、体内時計の管理も行き届いている。
販売員の話によると、このシェルター使用の唯一の問題は使用者の筋力低下の防止と精神衛生の維持だという。
しかし、それも微弱な電気で筋肉刺激をして筋力を維持できるスーツを着れば大丈夫だと言われた。実際のスーツを見せて貰ったが、量販店の灰色のスウェットにしか見えなかった。
脳に刺激を与えるための過去の映像や映画も、膨大な量が保存されているらしい。これだけあれば、100年は大丈夫だと、販売員は豪語していた。
全ての説明を聞いた後に、俺は興奮して購入を即決した。上機嫌の販売員は、もしかしたら今後ご家族が増えるかもしれないし、使わなかったら荷物でも置いてください、と寝室に二段ベッドをサービスで常設してくれた。筋力維持スーツも3着オマケでつけてくれた。
以上が、俺が購入した経緯だ。誰もが俺を馬鹿だと思っただろう。同僚や知り合いも、口では、お前すごいな、と言いながらその目は、正気か?と問いかけているようだった。
実はその通り、俺は正気ではなかったかもしれない、核シェルターを買った本当の理由は、戦争でも、自然災害でもない。
去年のことだった。8年間付き合った彼女に、振られてしまったんだ。
彼女と別れてから、まるで世界がモノクロになったようだった。食事も喉を通らず、仕事中も上の空。朝起きて夜寝るだけの毎日。生きている意味が見つからなかった。そんな時、偶然ネットで見つけたのが、この核シェルターだった。戦争、自然災害。外の世界が滅びようとも、この中でなら生きていける。それは俺にとって、彼女がいない世界から逃げ出すための、たった一つの選択肢だった。
彼女を失って、俺は世の中が嫌になった。全てを捨てて、一人になりたかった。一人で、誰にも邪魔されない、俺だけの世界を作りたかったのかもしれない。
核シェルターの工事は、自宅の庭でひっそりと始まった。掘削機が大地を深く掘り進み、巨大なコンクリートの塊が地下に埋められていく。
庭で工事をしている様子をぼんやりと見ていた。重機が轟音を立て、巨大なコンクリートのシェルターが、地下に沈められていく。その光景は、どこか現実離れしていて、まるで夢でも見ているようだった。でもこのシェルターは、俺にとっての安全保障だ。いつか世界が終わりを迎える日が来ても、俺だけは生き残れる。
俺は工事の途中で核シェルターの内覧をする様に言われ、「絶対安全君2035年バージョン」の鍵を手に、地下へと続く梯子をゆっくりと降りていった。ひんやりとした空気が肌を包み、人工的な光が、俺の心を照らしているようだった。
この中でなら、誰にも邪魔されない。久美がいない世界も、戦争も、自然災害も、全てシャットアウトできる。俺は、この「完璧な世界」で、一人で生きていける。
ああ、満足だ。俺はシェルターの扉を閉めた。そしてその瞬間俺は、世界から完全に切り離されたのだ。