第4章
それから一ヵ月が過ぎた。陽一の日常は、航平の研究室でバイトを始めてから、劇的に変わった。首から下げたネックレス型のモニターは、彼の行動、思考、そして周囲の出来事を克明に記録し続けた。
毎朝航平から渡されるデータ解析の結果は、陽一の想像を遥かに超えていた。
「君のこの講義の理解度は、まだ50%に満たない。教科書のこの部分をもう一度見直す必要がある。」
「君がこの友人と話す時、無意識に相手の言葉を遮る癖がある。相手はそれを快く思っていないようだ。気を付けろ。」
「君が疲れている時、いつも同じベンチで同じ飲み物を飲んでいる。これは、君の心理的な安定を保つための行動パターンだが、自動販売機で買うな。水道水に私が調合したこの粉末を混ぜて飲め。生活費の節約になる。」
航平は、まるで陽一の人生を最初から最後まで見透かしているかのように、淡々と事実を告げた。陽一は、自分の人生が、AIによって数値化され、解析されていることに、最初は強い抵抗を感じた。しかし、そのアドバイス通りに行動してみると、驚くほど効果があることに気づいた。
講義の成績は、面白いほどに上がった。教授が何気なく口にした言葉や、友人が教えてくれたレポートのヒントまで、すべてAIが正確に記録し、陽一に最適なタイミングで「次の試験までに、この情報を見返すべきだ。」と提示してくれた。陽一は、ノートを取る手間から完全に解放され、講義の内容をより深く理解できるようになった。
そして、お酒の問題も完全に解決した。AIは、陽一が酔いつぶれてしまう前に「君はそろそろ限界だ。これ以上飲むと記憶を失う。」とスマホに警告を出してくれる。陽一は、その警告に従うことで、記憶を失うことなく、楽しい飲み会を終えることができるようになった。財布の中身が空になることもなくなり、陽一は「一日5000円のバイト代と、この快適な生活。こんなに良いことはない。」とご機嫌だった。
そんなある日、陽一は、ゼミの同級生である圭子から声をかけられた。
「陽一君、最近、すごいよね。講義の発表、すごく分かりやすかったし、成績もいいって噂だよ。」
圭子は、陽一が密かに気になっていた女の子だった。明るくて、誰にでも優しくて、そして何より、いつも笑顔でいる。
「ありがとう。圭子さんこそ、いつも頑張ってるよね。」
陽一がそう言うと、圭子は少し照れたように笑った。
「あのさ……よかったら、今度二人で、お茶でもしない?」
圭子の言葉に、陽一の心臓は高鳴った。これはAIに頼ることなく、自分の力で掴んだチャンスだ。陽一は、喜び勇んで承諾した。
初めてのデートは、予想以上に楽しいものになった。AIは、圭子との会話において「相手の話を遮らずに聞くこと。」「相手の興味のある話題を掘り下げること。」など、いくつもの最適解をその都度スマホに提示してくれた。陽一は、そのアドバイス通りに会話を進め、圭子のことを少しずつ知ることができた。彼女は、陽一と同じように、文学や哲学に興味があること、そして、将来は海外で働きたいという夢を持っていることを話してくれた。
そして、二度目のデート。
帰り道、駅前のカフェで向き合って座っていると、圭子が少し真剣な表情で陽一を見つめた。
「あのさ、陽一。私……陽一のことが、好きだよ。前回一緒に話した時に、相性ぴったりって思ったの。もちろんその前から気にはなってたけど、私と付き合って欲しい。」
その告白に、陽一は胸がドキドキして張り裂けそうになった。AIの手助けがあったからと言っても、この高揚感、この気持ちは、陽一自身のものだ。
「僕も……圭子のことが、好きだ。」
陽一がそう言うと、圭子の顔がぱっと明るくなった。
圭子の言葉に、陽一の心臓は高鳴った。
圭子のアパートは、駅から少し離れた静かな住宅街にあった。
部屋に入る直前、陽一はふと立ち止まった。
「どうしたの?」
圭子が不思議そうに首を傾げる。
陽一は、首からぶら下げているネックレスに手をやった。このネックレスは、自分のあらゆる行動を映像と音声で記録し、研究室に送信されているのだ。
「……これから先まで、記録されるのか?」
陽一は、ネックレスを外そうとした。
航平は、「君の人生を豊かにするためのものだ。」と言った。だが、圭子と過ごす、この特別な時間も、AIに管理され、解析されるのだろうか?
「……僕は、僕の人生を歩みたい。」
陽一の口から、無意識のうちに言葉が漏れた。
圭子との関係を、AIの力で築いたこと。この先もずっと、AIの指示に従って生きていくこと。それは、本当に自分の人生なのだろうか?そして圭子にこれまでのことを全て正直に話すべきではないのだろうか。
陽一は、ネックレスを外すと、それをポケットにしまった。
「ごめん、圭子。まだ君の部屋に入る覚悟が僕には無いんだ。今日は帰るね。明日、またあのカフェで待ち合せよう。」
「分かった。そうだよね。相手の部屋に行くのは早すぎるよね。私、嬉しくて舞い上がっちゃったみたい。また明日ね。」
陽一は圭子の誘いを断ると、圭子に手を振り、圭子のアパートを後にした。
翌朝、自分の部屋のベッドで目が覚めた陽一は、思いを巡らせていた。
陽一は、昨日の圭子と過ごした時間、会話を、鮮明に思い出していた。圭子の震える声での告白、圭子の手を繋いだ時に圭子の手は震えて緊張していたこと、全て鮮明に思い出せた。圭子はこんな卑怯な僕の為に勇気を出してくれたのだ。陽一は圭子との事を全て覚えていた。
圭子に対しての強い罪悪感が渦巻き、陽一はある決意を心に抱いた。 「もう、記録モニターのバイトは辞めよう。」