第3章

「馬鹿じゃない?なんでそんなもの買うの?」

久美の声が、俺の耳に突き刺さる。その声は、呆れと、少しの怒りが混じっていた。俺は言葉に詰まった。戦争や自然災害のため、というのは表向きの理由だ。本当は、そんな大層なことじゃない。もっと個人的で、情けない理由だ。

彼女の名前は久美ちゃん。お隣さんで、幼馴染で、同級生だった。小学校から、高校、そして大学まで、ずっと一緒だった。いつからか、互いに居るのが当たり前の存在になっていた。彼女と結婚して子供ができて庭付きの一軒家で、俺たち二人と子供二人に犬一匹、なんて他愛もない未来を俺は夢見ていた。

でも、ある日突然、久美ちゃんは言った。

「武志、私、もう無理。このままじゃ、私たちの将来が見えないの。」

何が無理なのか、俺にはわからなかった。俺は久美ちゃんを安心させるために公務員という職につき、安定した生活を送っていた。借金もないし、彼女を不安にさせるようなことは何一つしていないつもりだった。結婚資金も小さいころからずっと貯めていた。それなのに、彼女は俺から離れていった。

理由は分かっている。俺には夢がなかったからだ。彼女が将来と呼んだものは、きっと、俺との未来にワクワクするような、新しい何かだったんだろう。だけど、俺は久美ちゃんが近くにいるだけで満足していた。公務員という安定した仕事、平凡な毎日に安住してしまっていた。そんな俺の姿が、彼女にはひどくつまらなく見えたのかもしれない。

彼女に振られてからというもの、俺の心は常に不安定だった。明日が来るのが怖い。そんな日々から逃れるために、俺はこの核シェルターに全財産を注ぎ込んだ。

「……久美ちゃんに、振られて、もう世の中が嫌になったんだ。」

そう口に出すと、俺の気持ちは思ったよりもずっと重く、目の前の地面に落ちていった。久美は、その言葉を聞いて、何も言わずに俺をじっと見つめている。

沈黙が、重く俺たちを包む。庭の片隅で、まだ工事の音が微かに聞こえてくる。それが、俺の心のざわめきとシンクロしているようだった。

「…ふーん、そっか。」

久美は、そう言って、ぷいっと顔をそむけた。何かを言いたそうに口を開き、また閉じる。その表情は複雑で、何を考えているのか俺には全くわからなかった。

「……じゃあ、その核シェルターってやつ?二人で入ろうか。」

久美ちゃんは、そう言って、少し照れながらチラッと俺を見た。久美ちゃんの顔は赤く染まっていて、俺は心臓が止まるかと思った。

……二人で?

一瞬、夢かと思った。彼女は、俺のことをもう嫌いになったんじゃないのか?8年間も恋人として付き合ってたのに、いいや、物心つくころからずっと一緒にいるのに、あっさり別れを告げた彼女が、今、俺と一緒に核シェルターに入ることを提案している。

「久美ちゃん……?」

俺は、思わず彼女の名を呼んだ。

彼女は少し照れくさそうに、でも真剣な顔で俺を見つめている。

「ごめんなさい。私、間違っちゃったんだ。私には武志しかいないって、離れて思ったんだ。改めて、私とお付き合いしてください。」

久美はアイスの棒を右手に持ち、頭を下げた。

「そ、それは……。……ふ、復縁ってやつ?」

俺は急な展開にひたすら驚き、アワアワした。

途端に周りのモノクロだった世界に鮮やかな色がついた気がした。

「もちろんいいよ!やった。すごく嬉しい。じゃあ、二人でお金貯めなおさないとね。結婚の貯金、全部使っちゃった。」

俺は笑顔でそう言った。核シェルターを買うのに使った貯金。全てを失った俺にとって、それは遠い道のりだった。でも久美ちゃんが一緒なら頑張れる。そう思った。

「……は?」

久美は、俺の言葉に、呆れたような声を出した。

「お金貯めなおすって、バカなの?結婚式は?出産は?育児のお金は?そんなこと考えもしないで、いくら使ったの?」

久美の言葉に、俺は絶望した。そうだ。俺はそういう将来のことなんて、あの時は全く考えていなかった。ただ、核シェルターに入ることしか、頭になかった。

「いや、でも、定価2億5千万が今ならモニターキャンペーンで6千万だったし。とりあえずは、このシェルターで二人なら25年は生きられるし……」

俺がそう言うと、久美は激怒した。

「は?何言ってんの?武志、あんた本当に変わってないね!何が核シェルターよ!あんたにとっての核シェルターは、ただの逃げ道じゃない!」

久美の怒声が、静かな庭に響き渡る。すごくビビる作業員。なぜかハッとした顔をする野次馬たち。俺は、何も言い返せなかった。久美の言葉が、俺の胸に突き刺さる。彼女は、安定した生活に不満があったんじゃない。俺が彼女との未来を真剣に考えもせず、自分勝手に行動していたことに対して不満だったのだと今、気付いた。

「ごめん、久美ちゃん……。」

俺は、ただ謝ることしかできなかった。

「……でも、いいわ。そんなお馬鹿さんだなんて、私が一番知ってるんだから。で、この核シェルター、せっかく買ったんだったら、いつでも使えるようにしておきなさいよ。」

久美は呆れ笑いでそう言った。

良かった。最後に久美ちゃんは絶対に許してくれる事を、俺は知っていたんだ。

「久美ちゃん。許してくれてありがとう。俺すごく嬉しいよ。」 作業員が手を止めて全員こちらを見て、近所の野次馬の中には涙を流しながら拍手をしている人がいるにも関わらず、俺は久美をきつく抱きしめた。

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