第4話:研ぎ澄まされる刃

 初ダイブと模擬戦、企業間の戦闘を終えて数日後、悠斗はリンの実家である日本拳法道場に日帰りで招かれていた。古民家のような佇まいの道場の門をくぐると、手入れの行き届いた植栽と、道場特有の凛とした空気が漂っている。真夏の暑ささえも忘れさせるような、清浄な空間だった。

悠斗は緊張しながら玄関を上がると、そこにいたのはリンと、彼女の祖父らしき老翁だった。リンの祖父は、悠斗を見ると鷹のような鋭い眼差しでじっと見つめ、口を開いた。

「お前が、うちのリンが連れてきたという…VRゲームとかいうごっこ遊びのチームメイトか。ふむ…ひ弱そうじゃのう。」

老翁は明らかに怪訝な顔と態度で悠斗を迎え入れた。その言葉に悠斗は思わず、

「ひっ…」と喉を鳴らす。

そんな祖父の隣で、リンは言葉もなく、道場の片隅で丸くなっていた茶トラの猫をそっと撫でていた。猫はリンの指に体を擦り寄せ、気持ちよさそうに喉を鳴らす。さらに、庭から現れた立派な秋田犬が、リンの足元に寄ってきて、頭をリンの膝に擦りつけた。リンはやはり無言で、秋田犬の頭をゆっくりと撫でる。その手つきは、まるで宝物を扱うかのように優しかった。

悠斗は、普段無表情で近寄りがたいリンの、意外な一面を目の当たりにして驚いた。

(リンさんって、こんな顔するんだ…)

リンは猫と犬から視線を上げ、悠斗の方を見ずに、静かに呟いた。

「……動物は、裏切らない。そして、裏切られることもしない。」

その言葉には、どこか深い意味が込められているように悠斗には感じられた。

特訓はすぐに始まった。リンは悠斗に、直接的な攻撃技術ではなく、「逃げ」の精度を極めるための基礎訓練を教え始めた。

「悠斗くん。君は、逃げるのが得意だと言ったな。ならば、その「逃げ」を極めろ。」

リンはそう言うと、竹刀を構え、悠斗に指示を出す。

「まずは、体幹だ。軸がぶれれば、動きは鈍る。重心を意識しろ。」

一本足で立つバランス訓練、高速での重心移動、狭い空間での身のこなし方、そして間合いの取り方。リンは悠斗の動きをじっと見つめ、正確なアドバイスを送る。

「そこだ。あと半歩、踏み込むな。」

「腰が浮いている。もっと地面に根を張るように。」

悠斗は不器用ながらも、真剣な表情で、リンの教えに食らいついていった。普段のゲームでは見せないような真剣な姿勢に、リンの瞳の奥には、静かな評価の色が宿っていた。

「……悪くない。飲み込みは速い。」

その短い言葉が、悠斗には何よりも嬉しかった。

 その後、悠斗と祖父が二人きりになった時、祖父が静かに口を開いた。「悠斗殿。この道場もな…昔のような活気は、もうないんじゃ。あれだけいた生徒たちが、リンの両親がいなくなってから、手のひらを反すように辞めていってのう。リンはそれでも一人でこの道場を守ってきたのじゃ。」                      

祖父は遠い目をして、古ぼけた道場の天井を見上げた。「リンは、この道場を守るために、ずいぶん前から苦労しておる。ワシがもう少し若ければ、どうにかしてやれるんじゃが…。」                      

その言葉に、悠斗は、リンが『インフィニット・ウォー』の依頼を受けたのは、高額な報酬によりこの道場を、そして祖父を守るためだったのだと知った。彼女の無表情の裏に隠された、家族と道場への深い愛情と責任感を垣間見て、悠斗は胸が締め付けられるような思いがした。

 道場での特訓を終えた後日、ラボの作戦室に戻った悠斗たち。次の戦場の情報がモニターに表示される。それは、入り組んだビル群と狭い路地が続く複雑な市街地マップだった。

アスカが戦術ボードを操作しながら説明する。

「次の相手は、『G.E.G.』支援のチーム、『シャドウ・クロウ』よ。彼らは卑怯な手を使うことで有名ねん。死角からの奇襲、罠、待ち伏せ…なんでもありの、厄介なチームよ。」

アスカの言葉に、ミレイが眉をひそめて反発する。

「あら、卑怯とは、聞こえが悪いわね。正々堂々とした戦いこそ、美しいのに。」

ミレイは華やかな笑顔を浮かべつつも、その瞳には明確な嫌悪感が浮かんでいる。彼女は自分自身の美学に反する戦い方を嫌うのだ。

しかし、リンはミレイとは対照的に、無表情ながらも闘志を燃やすような静かな気迫を放っていた。

「……好都合だ。」

リンの短い言葉に、悠斗は首を傾げる。

「好都合って…リンさん?」

アスカはリンの言葉に頷き、悠斗に視線を向けた。

「その通りよ、ラビットちゃん。市街地戦で何よりも重要になるのは、CQB(近接戦闘)よ。特に『シャドウ・クロウ』のような卑怯なチーム相手には、死角を潰し、確実に敵を仕留める近接戦闘のエキスパートが不可欠なのねん。」

アスカは戦術ボードに市街地マップの図を映し出し、具体的に説明を始めた。

「CQBの基本的な戦術として、『カッティング・パイ』。これは、角を曲がる際に、一度に全体を見るのではなく、少しずつ視界を広げていくことで、敵からの奇襲を防ぐ技術よ。次に、『ルームクリアリング』、つまり部屋の掃討ね。敵対者のいない安全な空間を迅速に作り出すことが目的で、部屋に突入して中にいる敵を素早く排除する技術よ。そして、『エントリー』。これは、敵の潜む部屋や通路に突入する際の動き方よ。」

アスカはリンを指差す。

「そして、これらの近接戦闘の要となる役割を担うのは、もちろんリンよ。彼女の圧倒的な近接戦闘能力と、冷静な判断力が、この市街地戦の鍵を握るわ。」

リンは無言で頷き、自らの役割を静かに受け止めていた。悠斗はリンの言葉と、アスカの解説を聞きながら、リンの道場での特訓を思い返していた。

いよいよ市街地戦が開始された。戦場は荒廃したビルの残骸と瓦礫が散らばる廃墟となった都市。悠斗はいつものように、チームの先頭に立って敵を引きつける『おとり役』を担う。

『シャドウ・クロウ』の戦術は、アスカの言葉通りだった。死角となる路地裏からの奇襲、瓦礫の陰に仕掛けられた罠、そしてビルの中に潜む待ち伏せ。悠斗は、次々と襲いかかる卑劣な攻撃の中を、道場で培った体幹と重心移動、そして研ぎ澄まされた「勘」を頼りに必死に逃げ回る。

「うわぁぁぁ! またかよ! こいつら、本当にずるいぞ!」

銃弾がかすめ、爆発がすぐそばで起こる。悠斗は地面を転がり、狭い隙間をすり抜け、瓦礫の陰から瓦礫の陰へと、まるで弾かれたように走り続ける。彼の動きは、以前よりも確かにキレが増していた。敵の動きを無意識に予測し、回避する精度が格段に上がっている。

リンは、悠斗が敵を引きつけ、混乱させている隙を見計らい、チームの先頭に立って冷静に進んでいく。彼女は狭い通路やビルの角に差し掛かると、慎重に『カッティング・パイ』を実践した。竹刀で訓練した時のように、少しずつ体を動かし、角の死角を削っていく。敵が隠れていそうな場所に警戒しつつ、一歩ずつ確実に安全を確保する。

そして、敵が潜む部屋に到達すると、リンは迷いなく『エントリー』を実行した。素早く部屋に飛び込み、その瞬間に敵の位置を把握。手にした日本刀を抜き放ち、流れるような動きで瞬時に敵を制圧していく。その動きは迷いがなく、無駄がない。まるで機械のようでありながら、彼女の瞳は獲物を仕留める獣のように鋭く、時折、感情のこもった光が宿っているように見えた。それは、彼女の内に秘めた闘志の表れだった。

悠斗は、必死に逃げ惑いながらも、リンの圧倒的な近接戦闘能力を目の当たりにして感嘆した。

(すげぇ…リンさん、別次元だ…。僕のやってた修行って、こんな風に活かされるのか…!)

リンの流れるような動き、間合いの取り方、重心移動の正確さ。それはまさしく、自分が道場でリンに教わった基礎の応用だった。悠斗は、自分の「逃げ」の精度が上がったのは、あの修行のおかげだと実感すると同時に、リンの動きから、自分の「逃げ」にさらに応用できるヒントを得る。

アスカはドローンで全体の戦況を把握し、ミレイは遠距離からリンの死角に現れる敵を正確に狙撃で援護する。悠斗が敵を引きつけ、リンが近接で確実に仕留める。そしてアスカとミレイがそれを完璧にサポートする。チーム『ヴァルキリー』の連携は、この市街地戦でさらに磨きがかかっていた。

リンの圧倒的な近接戦闘能力と、チームの完璧な連携により、『ヴァルキリー』は『シャドウ・クロウ』に勝利した。悠斗は、最後の敵が倒れるのを確認すると、安堵と疲労でその場にぐったりと座り込んだ。

VRゴーグルを外し、カプセルから出て、いつものようにへたり込む悠斗の元にリンがやってくる。彼女はいつもと変わらぬ無表情な口調で、しかしその瞳には微かな称賛の色を浮かべながら言った。

「……悠斗君。君の修行、無駄じゃなかったよ。少しは、動きにキレが出た。」

リンからの直接的な褒め言葉に、悠斗は心底嬉しくなった。

「ホント!? リンさんにそう言われると、すっげー嬉しい!」

悠斗は、まるで子供のように大喜びし、顔を輝かせた。

リンはそんな悠斗の頭に、そっと手を伸ばした。その手つきは、道場で秋田犬を撫でていた時のように、無言で、そして限りなく優しかった。悠斗は、リンの意外な優しさに触れて、照れくさそうに頬を赤らめた。

悠斗は、敵を一人も倒せなかった悔しさを残しつつも、リンの圧倒的な強さと、自分の地道な修行がチームの勝利に貢献できたことに、大きな喜びを感じていた。

(僕、確かに敵は倒せなかったけど、リンさんの動きに貢献できたんだ。僕の「逃げ」が、リンさんを助けたんだ…!)

そして、彼の心の中には、新たな、しかし純粋な目標がはっきりと刻まれた。

「リンさんみたいに、いつか敵をカッコよく倒せるようになりたい!」

それは、かつてゲームセンターで抱いた強くなりたいという漠然とした願望が、リンという具体的な目標を見つけた瞬間だった。

アスカは、満足げに頷き、再び真剣な表情で悠斗に告げた。

「今回の勝利は、私たちにとって大きな自信になったわねん。でも、『G.E.G.』も黙ってないでしょう。企業間の代理戦争は、これからますます激化するわ。次は、もっと厳しい戦いになるかもしれないわね。」

悠斗は、その言葉に力強く頷いた。彼の瞳には、もう以前のような臆病な光はなく、リンのように強くなりたいという、燃えるような決意が宿っていた。彼は、この「インフィニット・ウォー」の中で、確実に変化し始めていた。

第4話 完